ぼちぼちと芽を出し大きくなってきている6つの朝顔に挨拶するのが
この頃の私の密かな楽しみ。
・・・とそんな時、朝市の母体HCCグループのお便りにて、
同じ想いを持っている景ちゃんこと末富景子さんの文に出会いました。
ほんまに素敵な感性を持ってはる人やなあ。どうしてこんな言葉が紡ぎだされるのやろ。
感動したのが以下の文です。
朝顔を育てています。窓辺のプランターで。
緑の葉を付けてどんどん支えの木をのぼってゆきます。
そのうちきっと花咲くことが今は不思議でなりません。
手のひらの中、丸く黒い粒だったもののどこにこの葉が
その花がかくれているのでしょうか。
育てていると書きましたが、実際にはその種が土の布団をかぶるのを見届け
時折気まぐれに水をかける程度の事しかしておらず。
当たり前だけれども私がその種から芽を造り花の色形を決めるわけではないのです。
葉の形を決めるものは何か、花の色を決めるのは何かを考えると
やはりそれは未だ正体不明の見えない力。
花を花たらしめるもの。人を人たらしめるもの。
種の内に見えない花はしっかりと息づいていて、姿を現さぬうちから
その表現の場に出会う事を待っている・・・最近そんな風に思います。
よく言われることですが、種を蒔くことは自ら進んで何かをなげかける
行動を起こすことの比喩にもなっていて。
こうすれば夢に見ている想いを形作ることに繋がるのだよと
教えられている気がしてなりません。・・・
種ひとつとっても気づきのある人には深い深い意味を持たせてくれるんやな。
景ちゃんのおかげで明日からの朝顔へのご挨拶も
より深く楽しくなりそうです。ありがとね。