酒屋日記 

小川酒店@滋賀浜大津、京阪電車沿いの酒屋のつぶやき

江州音頭

ガス燈広場にて江州音頭祭りがありました。


ウイキベデイア等からの参考にさせていただきますと
「仏教の声明から派生し それが娯楽化し 遊芸としての祭文語りとなり話芸を踊りと融合させた新たな音頭は祭文音頭と言われ 浄瑠璃に近い説経節や、浪花節を生んだ浮かれ節等から下卑たものとされてもいたそうな。そして幕末に 祭文の名人桜川雛山の弟子の西沢寅吉が、歌念仏・念仏踊りを祭文に採り入れた独特の節回しを考案し 豊郷町千樹寺で踊りを披露したのが、江州音頭の始まりとされている。

明治末には大阪・千日前界隈の寄席にこぞって進出し、落語や音曲と並んで人気の演目となった他、一部は漫才等の舞台芸に転じ、今日の演芸の源流にもなった。江州音頭河内音頭と並んで興行として演じられるようになってからは、浪曲や諸芸と融合し、近江とは別のスタイルで大阪でも独自の発展、変革を遂げていく。」

はたまた 盆踊りは、「盆に招いた祖霊を迎え送るための念仏踊りであるといわれ、この空間はあの世とこの世の境界であり、踊りの所作には霊と自分自身の親しみを表す所作が必ず含まれている。ほのかな月明かりやかがり火を頼りに踊る中で 踊り手は別の踊り手に あの世に行った人達の姿を重ね合わせることになり あたかも精霊と一緒に踊っているような錯覚に陥る。

お盆にもどってきた精霊を慰め餓鬼や無縁仏を送るための踊りという説、お盆の供養のおかげで成仏することのできた亡者たちが歓喜する姿を表現したもの、お盆にもどってきた精霊たちを踊りに巻き込みながら送り出すためのもの、悪霊や亡者たちを踊りながら追い出すものといろいろ。いずれにしても、祖先たちの精霊のために踊るものですと同時に、私たち生きている者の楽しみの一つであり、喜びの表現でもある。」

参考にばっかりさせてもろてすんませんですが、盆踊りのことは ずいぶん前に永六輔さんが書いてはったことを思い出してちょっと感動。

ほんまに次第に世も更けてきて 灯りが燈され今までは顔も見えてた人が見えなくなってきますと あの世とこの世の境目にいるような気持になります。で…私とツエルマットのパン屋さんも‥‥トウモロコシ焼いてた前掛けが粋なお兄ちゃんもいつの間にか 輪の中で踊っていました。
気のせいかもしれませんが 姉御のようなひとも踊ってはったんですわ。きっと成仏できたので 舞い降りて踊ってはったんかも‥‥狐踊りも先頭に立って踊ってはったなあ。

3時から8時まで永遠に続いたんですが 舞台では30人くらいの歌い手が入れ替わり立ち代わり・・・これも なかなか圧巻やったし、途中知的障害のお兄ちゃんも参加。見る見るうちに上手になり 見事な踊りっぷりにまた、聾唖者の人もおどってはったんですが むっちゃ上手い!そしてリズミカルやん。ビールを買いに来てくれはった時に手話のできる義姉さんと一緒に お話しましたが おもろいおもろい素敵な人でした。

一つの型はあるものの ほんまに皆さん個性的。前に踊っている人によって 後ろの私の踊りも変わるのがおもろい。

このイベントに参加させてもろたおかげで、小学校の時から必ず運動会では踊っていた江州音頭やけど、ちょっこし前よりも深く知ることができました。そしてこの江州…滋賀がますます好きになりました。それにしても まだまだまだまだ この世の中 知らんことが仰山ありますのやな。