いたぎやさんの器はまさに民藝でした。
美しいものを造るのではなく、大きな自然の流れに身を任せることによっておのずと生まれてくる。親鸞は自然法爾といい、みずからではなくおのずからという意味でもあります。
民藝の数々の器に感動した私は ふたたび利他と料理の本を読み返しました。
これはここにも書かれていた文やけど、まさにいたぎやさんのお店は、民藝の理念をあたたかく感じさせるお店でした。料理の盛り付けも、作為を感じさせない、大らかやけど、綺麗で丁寧。
いたぎやさんは神戸でありながら、滋賀酒を押してくれてはって、いつかいつか行きたいお店やったけど、器のことは発見でした。店の壁際にも民藝の大皿が飾ってあって、器熱を呼び戻された快感。
今回はカウンターではなかったので、兄弟さんと 沢山お話ができなかったのは残念ですが、お任せで持って来てもろた滋賀酒は 酒器とともどれも美味しく堪能させてもらいました。
あまりにほうれん草の根っこが甘くておいしかったので、天婦羅もいただきました。ラデッシュもほうれん草も蕪も根っこをみていると ほんまに地球と繋がってるのやなあと想います。
和歌山龍神村で心を込めておとうちゃんおかあちゃんが育てた野菜も、地球と繋がっているから、こんなに美味しいのやな。いたぎやさんは 地球を食べるお店なんやな。
ご一緒していただいたTさんは、ぱんちさんにもよく行ってはったし、またいたぎやさんの前身ひのさん=ひのレンジャーさんとも懇意。ここがひのさんやった頃、私はぱんちさんの還暦祝いに、ぱんちさんと来ていたのでした