ささやかなお葬式は 地元の人々をはじめ。色々な人のお蔭でお父ちゃんが生きてきはったんやと 感謝の気持ちで一杯になる式でした。
そのあとの初七日は にぎやかなお父ちゃんらしく あったかい雰囲気の中で執り行われました。
姪っ子は後ろで元気一杯のおばちゃんが えらい大きな声でお経を唱えていたのが可笑しいのに、更に足元をみると私の長男がお経を足でリズムを取りながら読んでいたらしく こらえようとして真っ赤になってたそうな。次男はお経にこぶしを付けて読むので 甥っ子がまた 真っ赤に。 この私はいつもの月参りのようにうと~っとして 妹と義姉がくくく・・・・っ、ちょっと ひんしゅくもんかもしれへんけど ほんまにくくくっ・・・の時間でしたんや。お父ちゃんは、きっと笑てはるやろな。
お世話をしてくれはったセレマのkさんとゆきちゃん(たまたま 小川酒店のお客さん!)は 食べログみたいなものがあったら それこそ五つ星をつけたくなるような ええひとでした。
進行もこういう場合 あんまりドラマチックやと なんか・・・・やし、かといってどこやらのチェーン店みたいなマニュアル通りのしゃべり方もざんないし、ゆきちゃんの進行はなんかこう 口では言われへんのですが それはそれは良い感じでした。
こういう風にええ仕事をしてはるひとを、お客さん側になってみますと ほんまにえええ勉強になります。
やっぱり ひとやな。
お棺には仕事一筋やったお父ちゃんの記録を入れようと思てたんやけど この記録がまた感動的で、これは残しとかなあかんと ぎりぎりこれだけ抜いて、私の宝物にすることにしました。
昭和32年から記録を取り続けてはったんや。折れ線グラフもあり 昨年に比較しての△印もありました。ほんで 昭和42年がピークやったらしく そこには大きな日の丸?赤丸が付けられていました。
がそののち 酒業界は大きな変革がおこり 多くの酒屋さんや酒蔵が廃業となりました。そんな 浮世もお父ちゃんは間近でみてきはったんやな。
在庫にはとりわけ厳しく缶ビール1本でもちがうことを許さない厳しいお父ちゃんでもありました。
亡くなった後 お父ちゃんのいろんな仕事に向けた情熱とかが感じられて、やっぱりもう一度 奇跡の復帰をしてほしかったなあ・・・・・・そやけど 仲の良かったお友達やらが 天国で仰山迎えてくれてはることやろと思います。
合掌